卒業

おかげさまで発酵食大学を 無事に卒業した事を ここに報告いたします

班ごとに分かれて これまで学んできた事の集大成

卒業試験料理パーリー 試験までの怒涛の一ヶ月

足繁く二度の打ち合わせと 僕が暮らす村の大鋸屋公民館の調理室で 二度に渡る試作会

・酒粕と魚介の炊き込み御飯 山椒の実を添えて

・塩麹とエンドウ豆の冷製スープ

・タンドリーチキンと焼き野菜のマリネ

・みそパン

・甘酒入りそば茶プリン みりんソース

☆秘密兵器☆に

・黒糖醤油の納豆バニラアイス餅 胡椒の香り

使った発酵調味料&発酵食材

塩麹・醤油麹・いしる醤油・甘酒・酒粕 味噌・酢・味醂・ヨーグルト・納豆

移住した当初 料理なんて何一つできなかったのに

すべてを出し切った僕らの班は 見事 二冠を達成しました

留年したくなるほど ここで出逢った人達が

かけがえのない財産です

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発酵食大学の授業

調理実習 『 酢 』

蒸米 + 糀 + 水 = 日本酒

日本酒のアルコールを酢酸発酵させ 「 酢 」となる

日本酒 → 純米酢

ワイン → ワインビネガー

ビール・ウィスキー → モルトビネガー

果実酒 → 果実酢

酢の効果

・味の調和 ・殺菌と防腐力 ・疲労回復と高血圧予防 ・肥満の予防 ・解熱性

まだ野生の動物だった頃

五感のひとつ 舌から感ずる酸味は腐敗を 苦味は毒物を嗅ぎ分ける為の 味覚だったと云う その酸味さえも嗜む人間の 飽くなき料理への探究心 本能を呼び覚ます BC5000年 古代バビロニアで干し葡萄やナツメヤシを利用して 酢を造っていた記録が残っている BC1100年 中国の周の文献に酢造りの役人の記述がある 漢方薬としても用いられていた 4〜5世紀 応神天皇の頃 中国から米酢の醸造技術が 和泉の国( 現在の大阪府南部 )に伝わったのが 日本での酢の始まりとされる 奈良時代 『 万葉集 』の歌の中に酢という言葉が登場 当時の貴族たちは高級調味料として使っていた 『 養老律令 』に酒とともに酢を造っていた事が 記述されている 平安時代 『 延喜式 』に米酢製造法の詳細な記述がある 原料の割合まで記された最古の記録と云われる 室町時代 料理書の『 四条流包丁書 』で調理に合わせた 「 合わせ酢 」が紹介されている 江戸時代 調味料として庶民の食生活に浸透 二杯酢・三杯酢・味噌酢など様々な合わせ酢が発展 御飯に酢を混ぜて作る押し寿司の「 早ずし 」が生まれる 文政年間( 1800年代 )には 酢飯と生魚を使った「 握り寿し 」が誕生 大正時代 石油や石灰石を原料とした氷酢酸を薄め 人工甘味料などの食品添加物を加えた「 合成酢 」が登場 昭和初期 戦争による食糧難の時代 米を原料とした酢の製造が禁止に 酢のほとんどが合成酢になる 昭和45年 「 食酢の表示による公正規約 」が施行 氷酢酸を使った製品には“ 合成酢 ”の表示が義務付けられる 以来 市場では醸造酢の生産が合成酢を上回る

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筆を置きます

2016年6月7日 富山県は南砺(なんと)移住366日目

閏年 閏日と閏秒 2015年6月8日 ➡︎ 2016年6月7日 366日 + 1秒

運命の巡り合わせか 神様の悪戯か

地球が太陽の周りを 遥かなる冒険へ旅立ち 同じ場所へと還ってきた

でもそれは でもそれは

南砺に移住して ちょうど一年が経った

どんな日を過ごそうか考えてた

今日という日が 何事も無いことに感謝

いつも通りの日を 過ごしたいと想った

迷わず吉田 稔 翁に 逢いに行った

いつもと変わらぬ笑顔

いつもと変わらぬ泥だらけ

いつもと変わらぬ背中

いつもと変わらぬ肌の年輪

いつもと変わらぬ日焼け

ここに来てよかった

地球を抱きしめた

土をこの手で握りしめた

いつか土に還る その日まで

土と共に生きていく

故郷の地で

温かく送り出してくれた

産んでくれた親

血の繋がった兄妹

腐れ縁の友達

かけがえのない仲間

生涯の恩師

友達もいなければ

仲間もいない

知り合いすらいない

南砺の地で

家族のように迎え入れてもらった

僕はこの地球で生きている

生きてきて 生かされてきて

いままで出逢った すべての人に

言葉にできない

文字にもできない

この気持ち

伝えたい

だから叫びます

あぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁああぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁあぁぁあぁぁぁあぁぁあぁぁあぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁあぁぁああぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁああぁぁぁあぁぁあぁあぁぁぁぁあ

心から感動している時

寫眞を撮っている場合じゃない

鳥肌が立つほど感動している時

言葉や文字にしてる場合じゃない

今日死んでもいいと想えるほど感動している時

明日のことを考えている場合じゃない

現実の方が遥かに素晴らしかった

それでも 日記を綴ることで

伝えることや 遺すことの大切さを学んだ

現実を生きる為に

本日をもって 毎日綴ってきた日記

南砺移住物語の筆を置きます

御愛読ありがとうございました

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伝えなくっちゃ

2016年6月6日 富山県は南砺(なんと)移住365日目

いつか叶えたい夢

それは『 飛び出す絵本 』を出版すること

天使と悪魔は 本当は仲良しなのに

あんまり人間が煽るもんだから 喧嘩ばかりしているよ

伝えなくっちゃ 本当のことを

喜怒哀楽があるからこそ 小さな子ども達へ 人生って素晴らしいんだよ

伝えなくっちゃ 経験してきたことを

おとうさん おかあさん おじいちゃん おばあちゃん その先のもっともっと先

命を繋いでくれたから いま自分がこの世にいるんだよ

伝えなくっちゃ 親から受け継いだことを

夢は叶う でも恋は叶わないことがある それでも人を愛するんだ

伝えなくっちゃ 素直なその気持ちを

いままで出逢った 大切な人すべて いつか必ず星になる

伝えなくっちゃ むき出しの感情で

「 星の王子さま 」 サン=テグジュペリ 作・絵 池澤 夏樹 訳

偶然に出逢って 必然に僕のもとへ

※うるう年だった為

移住してちょうど一年は366日目となります

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ビーチバレーボール

2016年6月5日 富山県は南砺(なんと)移住364日目

僕が暮らす大鋸屋地区の ビーチバレーボール大会

『 ビーチバレーボール 』とは 富山県は朝日町発祥の カラフルなビーチボールで

バレーボールとバドミントンを 足して2で割ったような 子どもからお年寄りまで楽しめる

いわば富山県のソウルスポーツなのだ

水泳や器械体操などわりかし得意で 運動神経は悪くない方だと思うのですが

なぜか球技は苦手

ボールさえ無ければもっと動きやすいのに と思ってしまう始末

球技大会とかでは バレーボールのトスをすると

みんなに「ボール持ってるだろ」 とツッコまれたり

野球のキャッチボールでは 球をよけてしまったり

サッカーをやれば ボールを空振りして 靴だけ飛んで行くみたいな

漫画の世界のようなエピソードも

室内履きが無く足袋での出場

「 地域おこしてるよー 」

「 だいぶおこしてるよー 」

と意味不明な声援に応えるように能力以上のものを発揮し

ブロック スパイク 回転レシーブが 面白いように決まり

優勝することができました

栄光の賞金は飲み代に消えたとさ

そんな大鋸屋村が愛おしい

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人間はきわめてシンプルだ

2016年6月4日 富山県は南砺(なんと)移住363日目

田植え世界選手権2016

言葉がわからなくても 笑顔なのくらいはわかる

文字で伝えられなくても 身振り手振りで伝わる

母なる大地があって 父なる大空があって 同じ人間がいる

ただそれだけのこと

下手でも踊ればいい 知ってる歌を唄えばいい

へんてこポーズを決めればいい

隣人と手を繋げばいい

老若男女 抱き合えばいい

一緒に苗を植えればいい

「 想うことはひとつ お米を食べて欲しい 」

人間はきわめてシンプルだ

ひえばた園 http://www.hiebata.farm https://m.facebook.com/hiebata.farm

田植え世界選手権2016 https://m.facebook.com/events/854076901387124?acontext=%7B%22ref%22%3A104%2C%22action_history%22%3A%22null%22%7D&aref=104&__tn__=H

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唖々 味覚を司る妖精に 騙されるのも悪くない

2016年6月3日 富山県は南砺(なんと)移住362日目

発酵食材を取り入れた 創作スイーツに挑戦

納豆+醤油+黒糖+バニラアイス+胡椒+餅

纏わりつく粘り気と黒糖醤油が 皿まで舐めたくなる甘美

色欲をそそる独特の匂いを バニラアイスが優しく包み込み

温かい餅と冷たいアイスの 不思議なハーモニー

粗挽き胡椒の塊が 気品漂う芳醇な世界に誘う

両手両足を縛られ 目隠しをされたまま

いったい俺は なにを食べさせられたんだ

唖々 味覚を司る妖精に 騙されるのも悪くない

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お蚕さまへ

2016年6月2日 富山県は南砺(なんと)移住361日目

お蚕さまへ 桑の葉を献上する為に

森へ入ることへの許可を 精霊にいただく

昼夜を問わず 果てしない食欲

かと想えば ぴたりと動かなくなり 宇宙と交信するかのように 天を仰ぐ

蚕という漢字を 天に虫と書く 由縁なのだろうか

半月紋と星状紋

白よりも白い 妖艶なその御姿に 天体を有する 地球外生命体のように

恋しい遥か彼方の故郷へ 想いを馳せるように

一心不乱に 神の元へと召されるように

四回の脱皮と 一糸の繭 蛹から蛾へと 変身を遂げる神秘

眼状紋を馬の顔に見立て

ふくよかで母性的な肉体は 魅惑な女を想わせる

この世に絹誕生の 「 蚕馬( 蚕女・馬頭娘 )」の伝説

漢方薬にもなる 六つの輪で構成された 花形の蚕沙( 糞 )を跡に残す

株式會社 松井機業 http://www.shikesilk.com ECOTO

南砺市エコビレッジ構想 http://ecoto.jp

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そこかしこで遊びを創り出す 子ども達は天才

2016年6月1日 富山県は南砺(なんと)移住360日目

空気が美味しい季節

湧々農場には 寺子こどもえんのみなさんが 遊びに来てくれました

はしごに登って一生懸命に梅を採り 気がつけばタライ2杯分

「 こんにちは 」 「 いただきます 」 「 ありがとうございます 」 「 さようなら 」

元気のよい挨拶で農場は賑やかに

土に触れ 動物に触れ 花に触れ 昆虫に触れ 好奇心の塊で

そこかしこで遊びを創り出す 子ども達は天才

吉田 稔 翁はここを 子ども達が無我夢中になって 遊べる農場にしたいと夢を語る

僕が絵本作家になった理由

伝えたいことがある

行き着く先は子ども達だった

三つ子の魂百まで

僕の最古の記憶

産まれて初めて遊んだ 太平洋の海で

水平線に太陽が沈んでゆく 神々しい御姿を

美しいと感じたあの日から

なにひとつ変わっていないように

寺子こどもえん http://www.terako-kodomoen.jp/of/thought/

湧々農場 http://www.wakuwaku-nojo.com/project.html https://m.facebook.com/wakuwakunojo

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南砺の運命は 南砺人の手によって切り開く

2016年5月31日 富山県は南砺(なんと)移住359日目

福井県・石川県・富山県 北陸三県の地域情報誌

フリーペーパー『 BonNo 』

〜 これからの日本のために 今、わたしたちにできること 〜

のコーナーで特集していただきました

終始 心地よい取材に感謝します

届いてほしい 南砺のソコヂカラ

南砺の運命は 南砺人の手によって切り開く

『 全文 』

衣 食 住やエネルギーのあらゆる場面において自然環境との持続可能な暮らしの実現を目的とした「エコビレッジ構想」。 富山県南砺市が掲げるこの取り組みを支援する「リバースプロジェクト」のコアメンバーとして、昨年6月より移住生活を送っているのが、絵本作家としても活躍する伊勢谷千裕さんだ。 「リバースプロジェクトの代表であり従兄弟の伊勢谷友介の理念に参画し、南砺市への移住を決意しました。 まず取り組んだのは「とにかく南砺を知る」ということ。4町4村を駆けずり回り、土地土地に暮らす人々に逢い、話を聴き、地域の行事や獅子舞いなどにも積極的に参加しました。また、これまで野菜は買ったことしかありませんでしたが、農業や林業を通じて働くことの本当の意味や自然との共存共栄の大切さを学び、〈 ほうれん草って種があったんですね 〉や〈 ゴボウって綺麗な花が咲くんですね 〉と、野暮な質問に笑われながら野菜の一生を知りました」と伊勢谷さん。 本職の物語作家として言葉の力を最大限に発揮し、日々の暮らしを綴ったブログ「南砺移住物語」やSNSにて南砺の魅力を配信。五箇山合掌造りの茅葺屋根の保護や、蚕の餌となる桑の葉など途絶えつつある伝統産業の再生や復活にも取り組んでいる。そんな伊勢谷さんが南砺市に移住して強く感じるのは、地元の人達の生命力だそう。 「南砺市は城端蒔絵やしけ絹、井波彫刻、五箇山和紙などの伝統文化と土徳の精神、結の相互扶助といった、どこか懐かしい日本の原風景が息づく土地。産まれながらにして本物を見てきた南砺の人々は目が肥えており、精神的に豊かで何気ない日常の所作までが美しいというのが第一印象でした。移住当初はエコビレッジの概念をどう伝えるか悩みましたが、精神性の深い人たちが生きるこの南砺では、斬新なアイデアや抜本的な改革よりも、暮らしている人達の〈人間力〉を繋げてゆくことが大切だと感じたんです」。 趣味はサーフィン。それまで雪国とは無縁の生活を送ってきた伊勢谷さんにとって、南砺での生活は「想像を遥かに超えた世界に人間として生きる力が養われ、作家としても創作意欲を掻き立てられる」とも。地域おこし協力隊としての任務は一年更新の最長3年。伊勢谷さんの挑戦はまだまだ終わらない。

BonNo http://bonno-web.com/bonnospeople/60-伊勢谷-千裕さん/

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伊勢谷千裕の南砺移住物語